食事

わたしのなかで食べることと、料理があんまり結び付いていない。
彩りのためにパプリカを使いましょう、とかバジルをひとふり、みたいなことを、しているひとがたくさんいるのはわかるけど。
見ていてそれは料理か? 芸術では? みたいな疑問を抱いたことがあって、
料理にたいしてわたしが、材料を食べられるようにする、人間の口にあうようにする、としか思っていないことになんとなく気づいた。

父の趣味は釣りで、魚、というのは食材ではなくて、釣りざおや、ときには自分の身体を使って、なんとか捕まえてきたものなのだ。

ある日、海の磯辺のおおきな潮溜まり(潮が引いたとき、岩場の大きな穴に水がたまったままになったところ)に、イワシの大群が閉じ込められていて、
わたしと弟は立ち尽くしてしまった。

いつもの担当だと、父は釣りで魚をとるけど、弟は(たまにモリで魚をついたりしてたけど)だいたいは、食べられる貝を集める担当だったし、わたしはもとより貝や海草を集める担当だった。

イワシの大群。目に見えて無防備なところで渦のように泳いでいる。
わたしたちは虫取あみしか持っていなかったけれど、それを駆使してイワシをとろうとした。
弟が潮溜まりに飛び込もうとして、イワシといっしょに閉じ込められていたウツボに気づいた。

ウツボはこわい。咬まれたことはないけど、ぜったいに痛い。

ウツボは夢中になってイワシを追いかけていて、しっぽがたまに水上へ出たりしていた。

わたしと弟はウツボを避けながら、イワシを取りつづけた。虫取あみはへにょへにょの安いやつだったけど、掬えれば十分だった。

弟が虫取あみを置いて、モリを取り出した。
ふつうに潜っているときに、ウツボを突くのは危険だ。息継ぎのため水面に顔をあげている間に、足を噛まれるかもしれないし、一度外してしまえば、怒ったウツボがなにをするかわからない。

でも、いまウツボは潮溜まりに閉じ込められている。
頭の方を狙って、弟はウツボを突いた。成功だった。誇らしげに獲物を眺めていたら、近くにいた釣りびとが声をかけてきた。

ウツボを捕まえたのか、すごいなぁ。おれ、実はウツボが好きなんだ。骨が多くて食べにくいけど。これ、譲ってくれないか」

ウツボって食べられるのか。新事実に驚きつつも、釣りびとにウツボを渡した。
取ったはいいもののどうししたらいいかわからなかったから。
釣りびとは代わりに(なんの魚か忘れちゃったけど)魚をくれて、わたしと弟はたくさんのイワシと、釣りびとからもらった魚を持って、父のもとに帰った。
数えたら五十匹ちかかった。家に帰ってから父は捌きに捌き続け、捌ききり、その日はイワシフライだった。それからしばらくイワシ祭りは続いて、そのうち終わった。

スーパー鮮魚コーナー魚が並ぶ前に、たくさんの工程がある、ということに満足してしまうのかもしれない。
食材が捌かれてパックづめされたら、そこが終わりなのだ。その途方もない過程によって海から遠く離れたこんなスーパーに並んでいる。

そこから先があんまり思い付かないのだ。
すべての魚がそのまま食べることができたら、きっと刺身で食べ続けると思う。

ひとの料理の写真はとてもうつくしいし、あざやかだし、おいしそうだし、おいしいんだと思う。

けど海はもっとああざやかで、そこは生き物に溢れてて、びっくりする色の魚もいて、ひかりが差していて、きれいだ。

そのきれいさに圧倒されたまま、頭がぼおっとしてしまう。

なんちゃって。

ひとに「おおっ」って言われる料理を作りたいなぁ。と最近思う。